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論者てふ者なしとするも神の存在を信ずる心を以て吾人の生得のものとなすこと能はず、何となれば吾人は皆同一の世界に住居し世界の事柄より推究して始めて其の如き觀念に達したりとも考へらるればなり。一言に云へば、人類は凡べて生活上同樣なる事柄に接する故を以て若干の同樣なる觀念を懷けるに至れりとも考へらるべければなり。斯くの如く萬人に通ぜりといふことが以て其の觀念の生得なることを證するに足らざるのみにはあらず、萬人に通ずといふ其の事がまた明瞭なる事實として承認せらるべきものにあらず。道德上の規律と雖も諸種の人民に通じて悉く同樣なるものを擧ぐること難く且つ數理及び物理上の原理の如きものも亦小兒野蠻人等に於いては見ることを得ず。盖し吾人は實際其の如き原理を生來思ひ浮かべ居れるものにあらず、通則と云ひ一般の槪念といふが如きものは吾人が多くの個々の事物に接したる後始めて思ひ浮かぶるものなり。人或は言はむ、其等原理通則等の觀念を有せざるが如く思はるゝものあるは其の本來具有したるものが唯だ境遇習慣等によりて埋沒せられたればなりと。されど境遇習慣等によりて埋沒せらるゝ恐れなき小兒等に於いて之れを發見せざる