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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/247

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以上の目的に從うてロックは先づ吾人の觀念の由來を穿鑿することを以て其の硏究を始めたり。彼れ問ひ起こして曰はく、吾人に生得の觀念と名づくべきものありやと。而してみづから答へて曰はく、之れ無しと。かくて彼れは力を極めて生得觀念論を攻擊せり。先きにデカルトは生得の觀念といふ語を用ゐたりしが彼れの用方に二つの意義の交はれることは已に彼れが哲學の條下に述べたる所なり。而してデカルト以後此の語を用ゐる學者等は彼れの先づ用ゐたりし意味即ち直接に明らかなる觀念といふ意義に用ゐずして專ら生まれながら具有すといふ意味に用ゐたり。英國に於いてはケムブリッジの新プラトーン派學者の如きは此の語をかゝる意義に用ゐたり。而して此の意義にて生得の觀念の存在を主張する人々は多くは其の觀念の人類に遍通なること、即ち萬人の一致すること(consensus gentium)を以て其の理由となせり。ロールド、ハーバートは實に此の論法を用ゐて自然道德及び自然宗敎の基礎となる觀念を立てむとせり。ロックが之れに對する論に曰はく、假令萬人の悉く有する觀念ありとするも其の事は未だ以て其等の觀念の生得なることを主張する理由となすに足らず。假りに世に無神