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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/246

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娶らず、晚年にはケムブリッジの哲學者カッドヲルスの女婿メーシャム氏(Masham)の家に寓し一千七百〇四年十月二十八日其の家に歿せり。彼れ資性溫厚、朋友に對して交情頗る厚く、又常に思想上及び政事上の自由を主張し人權を擴張することに熱心せり。

《ロックの知識論、其の由來、吾人に生得の觀念なし。》〔三〕上に引けるロックが其の大著に序せる語を以ても明らかなるが如く彼れが哲學的硏究の主眼は吾人の知識の起原、成立、及び其の界限を明らかにせむとするに在り、即ち彼れの此の思想に於いて、知識論の硏究は歐洲近世の哲學に先づ最も明らかに提出され且つ哲學の主要の部分と爲されたり。是れより先き吾人の知識に關する論は已に多少デカルトにもスピノーザにも又其の他の學者の所說にも存したれども明らかに知識の成立を硏究することをば哲學攷究の出立點と爲したるはロックを以て嚆矢とす。一言に言へば、吾人の知識其のものよりも寧ろ實在の相に眼を著けたる從來の見地より移りて吾人の知識其のものを以て先づ硏究の對境となしたること、是れ近世哲學に於いてロックの占め得たる特殊の位置なり。