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要すと、かくして己れは件の著作に志したりと。英國博物館に保存せられたるロックが此の書の一古本に彼れの友ヂェームス、ティルレル(James Tyrrel)の手記せる語あり、曰はく「回顧すれば我れ亦其の折の討議の席に列なりし一人にて道德及び天啓的宗敎の原理に就きて論ぜられたりしことを想ひ起こすと。一千六百九十一年彼れは政治論二編( "Two Treatises on Civil Government")を出版せり、是れ即ちオレンジ候ヰルリアムを英國に迎へたる政事的革命の正當なることを論じて英國立憲政治の基礎を堅固にせむと力めたるものにして爾後の憲法政治論に於いて大に重きを爲せる著述なり。一千六百九十三年には『敎育意見』("Some Thoughts on Education")同九十五年には『基督敎の合理なることを論ずる書』("The Reasonableness of Christianity as delivered in Scripture")を出版せり。宗敎上にてロックは當時の神學者等の攻擊を受けたりしが其の攻擊は彼れの神學より延きて其の哲學に及べり。彼れを攻擊せし敵手の最も有名なるは監督スティリング、フリート(Stilling Fleet)にして、ロック亦屢〻之れに答辯したりき。其の攻擊の劇しかりしや、オックスフォルド大學にては彼れの『知解力論』を用ゐることを禁ずるに至れる程なりき。ロックは終生