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ロック和蘭に在りし時拉丁語を以て書翰の體裁にものしたる信敎自由を論ずる書を著はし千六百八十五年其の第一書を公にし(但し匿名にて)一千六百八十九年更に其の第二書及び第三書を出版せり( "Epistola de Tolerantia")其の後一千六百九十年其の哲學上の大著、吾人の知解力を論ずる書("Essay concerning Human Understanding")を公にせり。此の書は一千六百八十七年即ち彼れが和蘭に在りし時已に全く完了せしものにして彼れ自らものしたる其の梗槪は其の翌年佛蘭西語に翻譯せられて當時和蘭にて彼れの一友人の發兌せる雜誌『ビブリオテーク、ユニヹルセル』("Bibliotheque Universelle")に揭げられたり。ロックが此の書を著はさむと志しゝは一千六百七十年又は七十一年の事にして彼れが數年間佛蘭西に滯在したる時にはまさに其の著作に從事し千六百七十九年には旣に槪ね其の業を卒へたりしものの如し。ロック自ら其の書の序文に記して曰はく、曾て數人の朋友等と論議したりし時の論議の問題が滿足なる解釋を得ざりしより、己れおもへらく、其等の事柄を論議する前に先づ吾人自らの能力を硏究し而して吾人の知解力が如何なる事柄を取り扱ふに適し如何なる事柄を取扱ふに適せざるかを見分くることを