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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/238

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彼れ說いて曰はく、完全とは一物が其の物の本性即ち槪念に相應ずるの謂ひなり、而して吾人が明瞭なる知識を以て其れを了解すれば茲に眞理を得たりと稱せらる。又吾人の心作用の中に就き意欲の方面を以て之れに接すれば件の完全といふことは吾人の當さに得むとすべきと名づくるものとなる。又吾人の漠然たる感官の知覺を以て之れに接すれば其は茲にとして吾人に認めらると。斯くの如く眞、善、美の三者が明瞭に區別されたるは美學に於ける一大進步と云はざる可からず。此の故に美と名づくるものは畢竟事物の完全なる相に外ならず唯だ其の相が吾人の五官に現はれたる樣(perfectis phaenomenon)なるのみ。而して美に於いて吾人が看取する一事物の完全の相は吾人の感官的知覺が其の事物の槪念に相應ずる所に在るものなるが故に、言を換へて、美は吾人の五官を以て知覺する調和に在りといふも可なり。而して事物の相が其の本性に調和し居る所は美に於いては正さしく其が部分相互の調和及び部分と全體との調和として現はれ來たる。自然界は最も完全なるものを目的とする造化主の活動の作る所なるが故に美なるものの最高模範なり、從ひて吾人の作爲する美術の模範も亦こゝに存する