Page:Onishihakushizenshu04.djvu/230

提供:Wikisource
このページは校正済みです

以て其の存在する所以を了解すべきもの無きが故に其の物は無より出でたりと見ざる可からず、然るに無よりは何物も生じ出でざるべし、此の故に凡べての物は其れの存在する十分の理由を以てして始めて存在し得べきものなりと。斯くしてヺルフは單に論理的思考を以て理由則を證明せむと試みたれども、其の證明の無効のものたることは見るに難からず。何となれば彼れの證明は循環論證の似而非推論に陷れゝばなり、そは彼れは理由則を論證せむとして無よりは何物も生ぜずと云へど無よりは何物も生ぜずと云ふことが旣に理由則を假定し居れば也。

ヺルフが學說の長處は其の組織的なる點に在り。其の論旨は(假令彼れはライブニッツの學徒たりと云はるゝことを甘諾せざりきと雖も)槪ねライブニッツに由來せるが故に茲に委しく之れを繰り回し說く必要なし。唯だ特に取り出でて注意する價値ありと思はるゝ三四の點をのみ左に摘出せむ。

《ヺルフ學說の注意すべき點。》〔四〕ヺルフは全く定限されたる者を以て實在の相となし個性を具へたるものの外に實在なるもの無しと見たり。蓋し個別の原理に從ひ個々物として其の定相を具へたるもの是れ實在なりと云ふことはライブニッツが已にスピノーザ