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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/229

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くものとの二種あり、前者は原理を立つるものにして後者は原理の行はるゝ實例を供するものなりと。心理學も亦之れと同じく、心理學上の材料を蒐集し行く者即ち經驗的心理學(psychologia empilica)と吾人の心といふ槪念(換言すれば、想念する力を有するものと云ふ觀念)より心理上一切の作用能力を論じ出だすもの即ち純理的心理學(psychologia rationalis)との二つに分かる。ヺルフが論述の方法は斯くの如く一方に於いては經驗的硏究に基ゐするものを許容したるのみならず、彼れが實際爲せる所を見れば單に槪念の推究によりて進み行く方(即ち純理の方)に於いても常に吾人の經驗より得たる觀念を揷み來たれること明らかなり。されど其の目的と爲せる所は兎に角明らかに唯理學派の傾向を極端まで持ち行けるものにして此れは彼れが論述の方法とライブニッツのとを比べ見ば明らかに了解せらるべし。ライブニッツは吾人の理性が用ゐる原則として自同則と理由則とを並べ揭げたれども論理的に一より他を論じ出ださむとは試みざりき、ヺルフは之れを試みて謂ふ所理由則も畢竟ずるに自同則より出でたるものに外ならずと爲せり。其の意に曰はく、若し一物の存在することに全く其の理由なかりせば由りて