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なきのみならず、大なる善を來たさむが爲めには寧ろ不善の必要なる理由あり。吾人の活動を獎勵し隨ひて吾人をして大なる幸福を獲得せしめむには多少の障碍の吾人を刺激するもの無かる可からず、多少の苦痛之れあるが爲めに却つて吾人が强大なる快樂を感ずるは譬へば食物に少許の藥味を添ふることが却つて全體の風味を增し、音曲に少許の不調子を揷むことが却つて曲全體の調子を高むるが如し。世に多少の不善の存在するは世界全體の調子を害ふものに非ずして、なかなかに其を高むるものなりと云はざる可からずと。これをライブニッツの有名なる樂天論とす。

《ライブニッツ哲學の一大特色と其の難點。》〔一七〕以上ライブニッツの哲學を陳述したる所を以ても知らるゝが如く、彼れの所說は一根本的觀念より出立して其を論理的に開發したるものに非ず、寧ろ從來存在せし種々の學說に對し批評を用ゐたる結果として種々の思想を發揮し來たり其等が相結合して一大組織を成せるものなり。是を以て彼れの哲學には種々の見地に屬する思想の多く攝取綜合されたるあり。アリストテレースの哲學の要素もあれば、スコラ哲學の思想も其の痕跡を遺し、ルネサンス時代の大宇宙