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ずや。ライブニッツが之れに對する解答に曰はく、斯く不善は在りながら尙ほ全體より云へば世界は最も善なるものなり、神の心の中に於いて種々の世界が想念として存在し、而して中に就き最も善なるものが選ばれて創造せられたる也。人若し此の世界の最善のものたることを見ずば、そは唯だ其の一部のみを見て全體を考へず、また人類の目的及び幸福のみを標準として考ふればなり。世界の善なる所以は其が全體を見、其が全體の目的よりして考へざる可からず。

斯くの如く唯だ世界の一部分のみを見る時は不善なることの多きが如くなれども其等は全體より見て不善と云ふ可からざるのみならず、現實吾人の應接する世間に於いても決して不幸多しと云ふことを得ず。啻だ消極的に全體の目的より見ば全世界は最も善きものなるかも知るべからずと云ひ得るのみならず、吾人は現實此の世界の善なることを證明するを得。人動〻もすれば不善なることの此の世界に多き樣に言ひ做せど實際は然らず、唯だ吾人は善事には慣れ易く炎禍苦痛は些少にても之れを大なる樣に言ひ做す傾きあるなり。生物の此の世に在るや槪ね其の生を樂しみ生きながらへむことを欲す。啻だ善事に比して不善事の少