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小宇宙の論もあれば、元子論も攝取され、デカルト哲學及び其れより出でたるオッカジオ論に由來せる要素もあれば、又自ら反對しながらスピノーザの哲學に負へる所もあり。此くの如く夥多の要素の攝入せられて其處に一の新和合を成せる所是れ彼れが哲學の一大特色なり、而して其の和合は論理的推究の結果として成り上がれるものと云はむよりも寧ろ美術的結構を以て成し上げられたるが如き趣を呈せり。故にライブニッツの哲學は全體より見れば調和てふ觀念を主眼として一種の美術趣味を帶びたる所あれど深く其の內部に立ち入りて考ふれば未だ其が諸要素の調和の成らざる點あるを認め易し。彼れの哲學組織の中に於いて最も不調和を感ずるは神といふ觀念なり。彼れの所謂神はモナドの調和を說かむが爲めに止むを得ず外より附け加へたるが如き趣あり、盖し彼れはその所謂衆多のモナドの想念する所が何故に相調和するかを解す可からざるが故に其の調和を豫定したる神ありと說きて謂はば、神てふ觀念をモナドの頂點に添へたるにて、其の觀念の地位の甚だ安からざるは深く考へずして明らかなり。彼れはモナドを以て一切他によりて影響せられざる本體と爲しながら又それが奇跡的に