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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/218

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哲理上より見たる不善とは萬物の皆有限なるを云ふ、これは所造物たるものの免る可からざる所にして造られたる個々物が存在する以上は其等は各〻それぞれの制限を以て存在せざる可からず。而してかく所造物は凡べて制限を有するものなるが故に苦痛即ち物理上の不善と名づけらるゝものの亦茲に生ずるは止むを得ざることなり、何となれば制限され抑壓さると云ふことと苦痛と云ふこととは全く離れ得べきものに非ざればなり。又かくの如く限りあるものなるが故に罪惡即ち道德上の不善の生ずるも亦止むを得ざること也。されど此等の罪惡も其の根據する所は制限即ち缺乏と云ふことにて神が罪惡を造れりと云ふことには非ず、神の造れるは唯だ罪惡を免れざる限りあるものにして而して神は其等のものの限りある所よりして罪惡の出で來たるべきを豫知せりとは云ふを得。

以上列擧したる不善を以て限りある所造物の免る可からざるものと爲したる上にて更に提出せらるべきは何故に神が必然に不善を以て伴はるべき有限なる個々物を創造せるかといふ問題なり。若し其の如く不善の伴ふことの免る可からざるものならば初めより其等有限の萬物を創造せざるの勝れるに若かざるに非