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へたる理に從ひてせざる可からず。故に曾て吾人の感官に在らざりしものにして吾人の知性に在るもの無しといふは可なれども、尙ほ之れに附加して、但し知性其のものは然らず(excipe nisi ipse intellectus)といふ條件を附せざる可からず、盖し知性其の物は吾人が生來の活動の仕方としてそれに具はれるものなれば也。而して吾人が感官の知覺分かちて思考と名づくるものも元來それと全く連絡せざるものにあらず、寧ろ唯だ程度の差別を以て相連續せるもの即ち後者に開發したるものは未開發の狀態に於いて已に前者の具へたるものなれば此の意味にて曾て感官にあらざりしものの知性にあるなしと云ふを得。

《自同則と理由則、思想のイロハ。》〔一二〕理性の依りて以て働く原理に二あり、一は自同則principium identitatis)或は矛盾則principium contradlctionis)一は理由則なり。吾人が眞理と認むるものの中に就き其が最も單純なる基本と見るべきは自同判定なり、こは一物を取りてそれに就きて其れ自らを言ひ表はす判定にして、是れ直接に明瞭なるものとして吾人の承認せざるを得ざるもの也、委しく云へば、判定の主位に在るものと其れに就きて言表さるゝもの即ち客位に在るものとが相同じきが故に他に何等の證明をも