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ち自意識の統一(apperception)の行はるゝ段階なりと。

《觀念生得の論。》〔一一〕斯くの如く吾人の想念は不明瞭なるより明瞭なるに至るまで幾多の連續せる段階を成すものなるが要するに此等は凡べて吾人の生具する所がおのづから開發しゆくもの、換言すれば、先きに無意識に具へたるものが漸次に意識せられ來たるに外ならざれば其の如き意味にて吾人の觀念を凡べて生得のものなりと云ふを得。(是れロックが生得の觀念を排斥せる論に對してライブニッツの云へる所なり。)吾人の不明瞭なる觀念を以て知る所は唯だ事物の現象なり、吾人が物體を空間に廣がれるものの如く見るは是れ不明瞭なる五官の知覺を以てするが故なり。眞理を認むるは吾人の理性にして是れは吾人に具はれる知識の原則に從ひて働くもの、而して其等理性の依りて働く原則は吾人の初めより明らかに意識するものには非ざれど、凡べての觀念と均しく吾人の心に本具せるものにして吾人の精神的活動の進むに隨うて之れを自覺し來たるなり。吾人の心は全く白紙の如きものならずして、寧ろ知識を開發すべき特殊の性を具ふ。之れを譬ふれば、恰も定まれるきめを元來具へたる大理石の如し、其を刻まむには其が自ら具