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むとする傾向(或は力求)は意志となる。されど吾人の靈魂なるモナドも純粹に活動の方面のみを具ふるに非ざれば明らかに意識して爲す思考及び意志の外に尙ほ不明瞭なる想念をおもひ浮かぶ。通常は之れに注意せざれども吾人は微少なる、又漠然たる殆んど無意識ともいふべき感覺を思ひ浮かべ居り、而して其等の結合は吾人の明瞭なる意識に對して重大なる關係を有するものなり。吾人が明らかに其を意識せざるは唯だ其等の感覺の相互の差別の判明ならざるが故のみ。殆んど無意識なりとは云へども此等は實に吾人の心的生活に於いて決して看過すべからざる要素を成すものなり。斯くライブニッツが其の曾て數學に於いて發見したる微分的計算法を應用して說ける所は彼れが心理的說明の上に最も光彩を放てる點にして最近の心理學者が吾人の心作用中漠然たる體機感等の漠然たる感覺が明瞭なる意識の後景を成すと說くが如きは已にライブニッツの眼中に存せし所のものなり。

彼れ尙ほ以爲へらく、身體に於ける運動の止む時なきが如く吾人の心も亦常に活動するものにして勢力保存の法則が普く物質界に行はるゝが如く亦心界にも行