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はるゝなり、唯だ恰も勢力が物質界に於いて運動として或は多く或は少なく現はるゝ如く心界に於いても想念の或は多く或は少なく意識に現はるゝことあるのみ。睡眠の狀態と覺醒の狀態とは畢竟唯だ程度の差別なり、吾人の注意を轉ずるは是れ取りも直さず幾分睡眠の狀態に入るなり。吾人の感覺は一見甚だ單純なるが如くなれど實は然らず、其れに應對し居る身體上の運動の複雜なるが如くに複雜なるものなり。之れを譬ふれば、海波の磯邊に打ち寄する音の恰も一の單純なる音の如く聞こゆれど實際は幾多の波濤の幾多の運動に對して幾多の微小なる感覺起こり、而して其等感覺の結合がさながら一の感覺なるが如くに意識せらるゝ也。

而して各個人に於ける意識の一時期と他の時期との關係は殆んど意識に上らざる此等幾多の觀念によりて始めて了解せらるゝを得。盖し若し其等の極微なる感覺ありて其の間に連續を爲すこと無くば一時期に於ける意識の狀態が何故に變じて他時期の意識の狀態となるに至るかは解すべからず。個人と個人との間に於ける性情氣質の差別の如きも亦此等朧げなる想念の結合の趣きを以て說明