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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/202

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づけて本體(substantia)と云へる所もあり。凡そ靈魂は其を宿す身體を以て伴はれざる無し、而して其の身體を成す物質(究竟すればモナド)は常に新陳代謝し、靈魂の想念する所亦之れに伴ひて變動し行く。一生物の生まるゝは連續律に從ひたるものにして全く其が靈魂及び身體の無き所より生出せるに非ず、靈魂及び其を宿す身體は生前より業に已に存在し、而して生物の生まるゝは唯だ其が身體を成すモナドの團體の急速に生長するに外ならず。死も亦全く靈魂及び身體の消え失するの謂ひに非ずして其の身體を成せるモナドの急に減少して吾人の肉眼を以て認め得ざるに至るを謂ふなり。而して其の減少或は增加は生物の吾人の眼前に生活し居る間にも常に行はれ居るものにして、生と云ひ死といひ、畢竟ずるに增加または減少(新陳代謝)のただ大なる程度に於いて行はるゝの謂ひに外ならず。

斯く一モナドの想念する所が他のモナドに比して特に明瞭なる時に他モナドの狀態は其の一モナドの明瞭なる想念に於いて最も鮮明に表現せらる、換言すれば、他の狀態をば其の一モナドに於いて最も善く讀むことを得、他の狀態のしかある所以が最もよく其れに於いて了解せらる。而して他の狀態のしかる所以を示す