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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/201

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melioris に從へるものなり。)斯くの如く說きてライブニッツは近世の自然科學の大精神なる機械的說明と目的觀とを其の根據に於いて調和せむと試みたり。

《モナドの團體と生物。》〔九〕若干のモナドが相集合して一團結を成せる中に就き其の一モナドの想念する所他のモナドのしかする所に比して大に明瞭なるときには其の一モナドと該團體に於ける他のモナドとの間には恰も各モナドに於ける二方面と相比すべき關係を成す。盖し想念することの最も明瞭なるモナドはエンテレキア(entelechia)即ち靈魂にして他のモナドは相寄りて其の靈魂を宿す身體(materia secunda)を成すこと恰も各モナドに於けるとの關係の如し。かゝるモナドの一團體これ生物と名づくる者にして其が靈魂と身體との關係は豫め一致せしめ置かれたる二個の時計の相合ふが如くに相應ずるものなれども其の間相互に影響すること無し。斯く生物は本體なる各モナドに於ける二方面に類似せる二面を具ふるものなれば無機物よりも更に高等なる意味に於いて一體たるものなり、盖し無機物は偶然に一體を成したるもの(unum per accidens)にして有機體は其れ自身に一體を成せるもの(unum per se)に近よれる所あり、此の故にライブニッツは或は生物を名