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士の宮廷に對する關係ます親密となり、一千七百年べルリンに新設せられたるアカデミーの建立に與りて力あり且つ其の最初の長となれり。普漏士王妃の歿後はべルリンの關係頓に疎くなりゆき、それに代へて維納の宮廷と親密になり、又ハンノーフェル公ゲオルグ、ルドヰヒ去つて英國王となるやハンノーフェルとの關係も甚だしく冷却せり。

彼れは諸種の學術に關する硏究の外、政治上及び其の他實際上の事業に與り曾て宗敎上の事をも畫策せり。例せば羅馬加特力敎會とプロテスタント敎會との和合を圖らむが爲めに其の意見をポシュエーに示しゝことあるが如き、またプロテスタント敎會內に於いてもル一テル派とレフォルミールト派との一致を計らむと欲したるが如き、是れなり。彼れは少より多讀の人にして其の自家の新見識を開き來たれるも多くは讀書の媒介によれりしが如し。博覽にして兼ねて獨創の才に富めりし者をいふや、人多くは古代に於いてはアリストテレースを稱し近世にはライブニッツを擧ぐ。上に云へる如くライブニッツは數學に於いても發明する所あり、また法律學及び言語學の上にも其の心を用ゐ其が硏究の痕跡を遺せ