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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/154

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狀態の變化する所に生ずるものなりと。(今日の生理的心理學上に快樂苦痛の感は吾人の生理作用が身體の生活に益ある方に變じ或は不利なる方に變ずる所に起こるといふ說と其の旨意相同じきものと見て可なり。)而してスピノーザは件の欲望及び之れに根ざせる快樂苦痛を根據として一切の情念(或は情緖)の出で來たる所以を說かむとせり、盖し謂ふ所情緖の種類は之れを要するに苦樂の感に結ばれる觀念の種類に歸するを得べしと考へたるなり。スピノーザが一切情念の心理的說明を試みるや、恰も物理學者が自然界に對して物理的說明を爲さむとするが如くにして、決して情の善惡を別かちて之れを取捨し或は抑揚することをせず、一切をひとしなみに其の自然の心理の法則に從うて說明することを以て目的としたりき。而して此の方針に從ひて彼れが種々の情緖を攷覈せるところは近世の心理學上の硏究に於いて一種の光彩ある功績を遺せるものと云ひて可なり。彼れ以爲へらく、種々の觀念が快苦の感と相結合して種々の情の生起するは、例へば吾人に快樂を與ふるものの觀念と其の快樂との結合することによりて喜びといふ情を生じ、また苦痛を與ふるものの觀念と其の苦痛とが相結ばりて悲みとい