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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/153

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のと所動のものとを別かてり。彼れの此の區別を爲すや其の思想にはホッブス風の自然論的要素加はり來たりて其れがデカルト風の思想と相結べる所あり。彼れ以爲へらく、凡べて存在する個物は皆其れ自身を保存する性を具ふ、此の性は心の方面に於いても物の方面に於いても共に等しく在り、而して此の自存の性を助長し行くもの是れ即ち自動的或は能動的のものにして、此の性の他に抑壓せらるゝを覺ゆる是れ即ち所動的狀態なり。而して吾人は生來其の所動的狀態を去りて成るべく自動的ならむことを求むるもの、換言すれば、吾人は心に於いても他の障碍抑壓に勝ちて自由に伸び行かむと力むるものなり。此の根本性に具はれる自然の求めは心の方面に於いては欲望(又は欲求 cupiditas)となりて顯はる。而して件の自然の傾向欲求に合して之れを助長せしむるものは吾人に快樂を覺えしめ之れに不利なるものは吾人に苦痛を感ぜしむ、換言すれば、凡そ吾人の性に根本的に具はれる欲望を充たして吾人の存在を强固にし增進するものは快しと感ぜられ之れに反するものは快からずと感ぜらる。斯く快樂及び苦痛は吾人の狀態の或は自存に利なる方に變じ或は不利なる方に變ずる所、一言に云へば、吾人の