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感官によりて他物の刺激を得る時に吾人の身體に生じたる變動に伴うて起こる心の念是れ即ち感覺なり。故に感覺は外物の狀態其の物を示すよりも寧ろ吾人の身體の狀態に伴ふものなり(感覺を主觀的なりとすることに於いてガリレオ、ホッブス、デカルト等の說皆一致せり)。されど吾人の身體に於ける變動は之れを唯だ吾人の身體の內部に生じたるものとのみ見ては說明すること能はず、換言すれぱ、其の變動を唯だ吾人の身體に於けるものとしては之れを完全に考ふること能はざるが故に尙ほ他に其の原因を求めざる可からず。此の故に吾人は常に我が感覺を外物の性質又は狀態として之れに歸する傾向を有するなり。
斯く感覺のみならず一切の心念は他面卽ち物體の方面に於いて凡べて吾人の身體の變動に伴はるゝものなり。而して運動の法則が在らゆる物體の變動に通貫し之れを支配するが如く在らゆる念は其の相似たるもの相互に喚起し、先き立ちて起これる念が續きて起こる念を喚起すといふ法則に從ふ、こゝにスピノーザの謂ふ所は即ち近世の心理學者の謂ふ聯想律なり。
《自衞性、欲望、快苦、情緖、意志及び善惡美醜の論。》〔一四〕スピノーザはデカルトの如く吾人の觀念に就きて自動(或は能動)のも