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かく心の方面に於いても、また物の方面に於いても、個々現象の出沒變化する原因は他の個々現象に於いて認めらる、卽ち有限樣の中に在りては一物生起の原因が他物に於いて認めらるゝなれば之れは他在的原因と云ふべきもの也。故に其の間に於ける關係は神が萬物に對する關係とは全く異にして個々現象間の因果の鎖は終極なきなり。個々現象の相生ずるは是れ時間に於ける因果の關係にして其の終始なし。一結果を來たしたる原因は更に他の原因によりて來たされ其の因も亦更に他の因によりて來たさる、斯くして遂に窮極的原因に到達することなし。個々の現象間に於ける關係を傅うては遂に其の窮極の一端として神に到逮すべきものに非ず(是れ有限樣は直ちに神より來たるとしては考ふべからずといふ所以なり)、神を萬物の原因といふは斯かる意眛にての有限樣間に於ける因果の鎖の窮極の端を爲すと云ふには非ずして、其の如く端なき因果の鎖を成して變化出沒する萬有全體の基本即ち本體として常住に存在するものてふ意味にていふなり。
《心物は一本體の兩方面也。》〔九〕此くの如く個々物は極まりなき因果の關係をなして出沒するものなるが曩に述べたる心物の關係に從うて心の方面の現象と物の方面の現象とは相互