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に因果の關係を爲すことなし。心の種々の念の生起する所以は同じく心に於ける他の念によりて說かざる可からず、物體に於ける變動は同じく物體の變動によりて說かざる可からず。一言に云へば、念の生起は念によりて說明し、物體の運動は物體によりて說明せざるべからず。然るに心物の二者が相互に關係影響するが如く思はるゝは何故ぞや。是れデカルト哲學の立脚地に在りて說明するに難かりし所にしてオッカジオ論を喚び起こしゝ所以のもの也。スピノーザは之れに對して自家哲學の見地より一の巧妙なる說明を與へて曰はく、心と物とは互に因果の關係を成すに非ず、然るに恰も相關係するかの如く見ゆるは心物は畢竟一本體の二つの方面なればなり。之れを譬ふれば猶ほ疊める一枚の紙に於いて表より見て凸なる所は裏面より見て凹なる所にして凹凸相對して違はざるが如し、心と云ひ物と云ふ、共に一本體を見る兩面に外ならず、互に一面に於いて見る所必ず他面に於いて見る所と相應ず。即ち心物各〻の現象は互に生じ生ぜらるゝ因果の關係を成すにあらずして唯だ相應じ相伴ふのみと。此の點に於いてスピノーザはデカルト哲學に於ける一の難題を斷じ了し得たりと思ひしと共に、またホッ