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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/142

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は水と波との如し。而して萬物は水に於ける波の如く心の方面に於いても物の方面に於いても種々雜多の差別相を現じ出沒變化して歇む時なしと。〈此の譬喩を見る者は何人も起信論中の有名なる譬喩を想ひ出でざるを得ざるべし。〉永恒常住なる方面より見れば凡べては唯一無限の圓滿なる本體即ち natura naturans に外ならず、有限差別の方面より見れば一として常住なるもの無く森羅萬象は唯だ常住なる本體に於いて出沒變化する波の如きものに外ならず、此等即ち natura naturata なり。

《無限樣、其れと神との關係。》〔七〕スピノーザは更に委しく本體のに就きて限り無きもの(modus infinitus)と限りあるものとを別かてり。スピノーザが玆に所謂無限樣の何たるかに就きては明瞭にし難きふしあれど彼れが言へる所を以て推考するに其の大意は必ずしも見難きにはあらざらむ。惟ふに、彼れは宇宙に存在する心の方面又は物の方面に於ける全體を指して無限樣と云へりと見ゆ、即ち之れを以て恰も本體(神)と嚴密なる意味に謂ふ個々の差別相即ち有限樣との間に位する如きものと見たりと考へらる。而してスピノーザは動と靜とを以て物體の方面に於ける無限樣となせり、謂ふこゝろは動と靜との全體は無窮に變ずること無きものにして或は一方