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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/127

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ひ及び廣がりは個々の心が念ふことを爲し個々の物體が廣がれるとは其の意義同一ならずと說けるが如き、其のジューランクスに比して明らかに萬有神說に向かひたることを證するものなり。而して是れ即ちデカルトが思想の根柢に在る實在論の正當の結論なるべし。個々の存在物は一の完全なる實在物によりて其の存在を得、故に個々に分かるゝほと實在を限るものなりと云ふ思想は應さに萬有神說の傾向を取りて進まざる可からず。是れ謂はば、中世紀に於いて旣にアンセルムスに存在せる思想の正當の歸結が遙かに時を隔てゝ近世に至りて發表されたるものと見るを得べし。

されどジューランクス及びマルブランシの所說は未だ能く萬有神說を完成せるものには非ず。少しくマルブランシに先きんじて旣に明瞭に又大膽にデカルト哲學の論理的歸結を揭げ萬有神說を唱へ出でたる者あり。是れ即ちスピノーザなり。スピノーザの哲學も此の方面より觀ればデカルト哲學發達の潮流に屬するものと云ふを得べきが彼れが萬有神說を唱ふるに至りしには尙ほ他にそが淵源となれるものあり、又彼れの哲學にはデカルト學派以外の思潮に屬する要素の