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かくの如くデカルトの思想に於いて修正を要する幾多の點あり、而して彼れの學說に根據して出立したる論者が先づ此等の點に於いて其の思想を改めむとしたるは自然の事なり。彼等は特に先づ二點に於いてデカルトが思想の修正及び開發を試みたり、一は限りある心と物とが神てふ本體に對する關係、一は心物相互の關係、是れなり。先づ此の第二の點に其の論を結び來たりしものはオッカジオ(occasio)論者なり。
第三十二章 デカルト學說の發達
《デカルト哲學の波及。》〔一〕デカルトの哲學は諸方より多くの攻擊を受けたりしと共に、又和蘭を初めとして漸々其の勢力を擴げ行けり。彼れの哲學は最初和蘭のユートレヒト及びライデンの二大學に於いて講ぜられ、次ぎに獨逸に波及し、また其の故國佛蘭西に於いても其の說を信奉する人々を得、特にヂャンセン(Jansen)の徒(當時の一宗派にして其の中心はポール、ロアヤル〔Port-Royal〕にあり)及びオラトアール(Oratoire)と名づくる宗敎家の一圑體の中に受け容れられき。