Page:Onishihakushizenshu04.djvu/118

提供:Wikisource
このページは校正済みです

動を起こし、物體の運動より何故に廣がりならざる念ひの起こるかを解すること能はず、斯くして其が正當の結論は物心の一が直接に他に影響を及ぼすこと無しといふに至らざる可からず。デカルトも全く此の結論を想起せざるにはあらざりきと思はるれど强ひて吾人が實際上の經驗に合はさむとせるより吾人の身體の中唯だ松果腺の一點に於いて兩者の相接する所ありと說きたり。然れども是れ亦十分なる說明とは謂ふべからず、何故に又如何にして此の一點に於いて一が他に變化を與ふるかが解す可からざる問題なればなり。デカルトは又物體の運動に絕對の增減なしてふことに違反せざらむが爲めに吾人の意志が動物精氣を動かすにも新たなる運動の量を與ふるに非ずして唯だ旣に存在せる運動の方向を轉ずるに過ぎず、此の故に量に於いて聊かも增減すること無しといふ。然れども是れ亦窮したる說明と云はざる可からず、何となれば縱令假りに運動の量と方向とを區別し得とすとも方向を轉ずといふことが已に一種の變動なれば此の變動は心の念ひに因りて新たに物界に生じたるものと考べざる可からざれば也。之れを要するに、心と身との相關する所以はデカルトの說明に依りては解すべからず。