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Page:Onishihakushizenshu04.djvu/111

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らるべし。デカルトが心理說の大旨は此くの如し。然れども能動と所動と及び知と意との區別及び其の關係は彼れの說に於いて甚だ明瞭ならぬ所あり。

デカルトは吾人の根本的情緖を六種に分かてり。曰はく驚異(admiration)、愛、憎、欲望(désir)、喜、悲、是れなり。一切の情緖は此等六種のものによりて形づくらる。而して彼れに從へば這般情緖は動物精氣の運動が腦及び身體の他の部分に於ける細竅を通じて心に突入するに因りて起こるもの(但し驚異の情のみは動物精氣の運動の尙ほ腦中に止まるに因るもの)なり。而して此等の情は皆不明瞭なる觀念にして、吾人の精神を攪擾し其の明知を蔽ふこと此等に越ゆるものなし。されど吾人の精神は想念を思ひ浮かべ之れによりて動物精氣の運動の方向を轉ずるを得るが故に情を抑制する力を有す。即ち吾人の思ひ傲し樣によりて喜怒哀樂の諸情を制することを得べし。

《觀念の起原、全き觀念と全たからざる觀念、意志自由の論。》〔一六〕デカルトは觀念の起原に就きては之れを三種に分かてり。一は外物によりて來たれるもの(adventitiae)例へば眼前に橫はれる器物の想念の如き是れなり、次ぎは吾人の自ら作り設けたるもの(factae)例へば諸種の想像の如き是れなり、