Page:Onishihakushizenshu04.djvu/109

提供:Wikisource
このページは校正済みです

る點なかる可からずと考へて之れを腦に於ける松果腺に求めたり。蓋し彼れは件の松果腺が腦の他の部分の如くに左右に對を爲さずして唯だ一個體として中央に存在するものなるが故にかくの如き職分を爲すに適當なりとし、之れを以て吾人の靈魂の座と見たるなり。委しく言へば、外物の刺激は神經の末端に運動を起こし、其の運動が松果腺に於ける動物精氣の運動を起こし、こゝに感覺として吾人の精神に感ぜられ、又吾人精神の作用は松果腺に於ける動物精氣の運動を起こし、次ぎに神經の運動を起こし、遂に筋肉の收縮を來たすなり。

かくの如くデカルトは身體の物質的運動と精神の意識作用とが松果腺に於いて相接するが如く云ひたれども其の說ける物理の原則に從へば物體の運動は增減生滅するものに非ず。故に動物精氣の運動が吾人の精神に感覺を起こすとはいふものから其の運動はそを起こしたることに因りて聊かも減滅すべきものに非ず、また吾人の意志によりて動物精氣の運動を起こすとはいふものから聊かも新らしき運動の物質に加へられたりとは考ふべからず。故にデカルトは吾人の精神作用が動物精氣の運動に影響するは唯だ其の運動の方向を轉ぜしむるのみに