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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/95

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あり、これクセノファネースの說を越えて更に一大步を進めたるもの又隨うてヘーラクライトスの說に正反對をなせるもの也(但し其の思想の一元的なることは相同じ)。パルメニデースはエレアの人なり。プラトーンの記する所によりて推算すればその生まれしは五百二十年乃至十年より早からず(ツェラーはディオゲネースの言を正しとして五百四十四年乃至四十年ならむと考ふ)。多少クセノファネースの思想に得たる所あり又ピタゴラス學徒に聞きし所あらむと思はる。一世の大儒にして諸人に尊敬せられパルメニデースの性行といへば殆んど諺の如く思はるるに至れり。律語を以て其の哲學を叙述したりしが其の幾分は今尙ほ遺存せり。

《有とは何ぞや。》〔三〕パルメニデースの學說はといふ一觀念を出立點となしそれを論理的に演繹開發したるもの也。といふ觀念を分析論究したるは彼れの學說を以て其の嚆矢とす。其の說の主眼とする所は「εἶναι)のみあり非有μὴ εἶναι)はなく又考へられず」といふにあり。今その意を推し究むるに凡そ物あるは即ちそのなる也、その反對なる非有のあるべき理なし、隨うて非有なるものは又考ふべからず、何となれば非有は無なれば也、考ふべき事柄なければ也。有は常恒不變の實體に