コンテンツにスキップ

Page:Onishihakushizenshu03.djvu/79

提供:Wikisource
このページは校正済みです

るものを見つ。ピタゴラスの事業は當時に於ける宗敎的信仰の振作を計りしものにて其の信仰を學術上批判せむとしたりしにはあらず、寧ろ實際上宗敎の復興改善を主眼となしゝ也。然るに當時の學術思想がその當然の傾向として通俗の宗敎思想と相衝突せむとするは能く防止すべきことにあらず。かのミレートス學派に於いて已に其の思想が通俗の宗敎思想と乖離せむとせるを見る。アナクシマンドロスが世界を指して神といひ又ト、アパイロンを呼んで神性のものといひしが如き、これ已に其の思想が俗間に信ぜられし所及び在來の詩人などの歌ひし所と相異なり又相異ならむとせるを示せるなり。而して其の學術思想と通俗の宗敎思想との衝突を最もきはやかに最も大膽に發表し通俗の宗敎思想に學理的批評を加へたるものをクセノファネースとなす。

クセノファネースは小亞細亞のイオニア種族の一都府なるコロフォーンに生まる。(ツェラーは其の生まれし年を五百七十六年乃至七十二年とすれど、或史家は五百七十一年以前に生まれきとは考へられずといふ。)今はただ切れの句をのみ存するそが詩中に齡二十五にして故鄕を出で他邦の客となること茲に六十七年とあ