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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/75

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けるが如し。

ピタゴラスの生涯に關して確かに實事と見做し得べきは左の數事に過ぎず。父をムネサルコスと云ひアイガイア海のサモス島に生まる。西曆紀元前五百三十年頃に南部伊太利なるクロトーンに移りこゝに一盟社を結び其の勢力の及ぶ所頗る大なりしが如し。後メタポンティオンに移りこゝにて歿しぬ。さればミレートス學派第三の學者なるアナクシメネースと畧〻其の時代を同じうせしか或は少しく之れに後れたりしならむ。

ピタゴラスは曾てアナクシマンドロスを師としたりといふ傳說もあれど確かならず、されど其の學說は開知したりしならむ。廣くエジブト、フェイニキア、カルデア、アラビア等を遍歷してその諸邦の僧侶博士に就いて見聞知識を博うしたりともいひ傅ふれどこれは憑るべき確證なし。そは兎まれ角まれ彼れが博識の聞こえ高かりしはヘーラクライトスの證言を以ても明らかなり。多少哲學上の思想をも懷きたりきといふ事は必ずしも否むべからざれど其の感化功績の大なりしは主として宗敎上の事業にありき。後世彼れを尊びて豫言者又神人と見る者ある