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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/74

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何れの國にても社會上の變動甚だしく人心靜止せざる時代にはかゝる宗敎的現象を見ることなるが、ピタゴラスはまさしくかゝる時代の需要に應じて出でし者にして其の結びし社は當時他にも少なからざりし敎會の一種と見るべきもの也。然れども其の社が斯くの如き敎會の一種たるに止まらずして希臘哲學史上看過すべからざる地位を占むるに至りし所以のものは後に此の社中に所謂ピタゴラス派哲學の形成されしが故なり。この故に所謂ピタゴラス派哲學はピタゴラスみづからの說きし所とは謂ふべからざれど其の名は希臘哲學史上忘るべからざるものとなれり。彼れみづから哲學上多少說きし所ありとするも實際如何ほど說きしかは明らかならず。

《ピタゴラスの生涯、事業。》〔二〕ピタゴラスの生涯に關しては種々の訛傳謬說相纒綿して明らかに其の事實と虛妄とを辨別し難し。或は詩歌音樂の神なるアポルローンの子なりといひ、或は黃金の脛を有しきといひ、其の他樣々の奇蹟を行ひきといふが如きはもとより皆後人殊に希臘哲學の末期に出でたる新ピタゴラス學徒の揑造したるものに外ならず。新ピタゴラス學徒がピタゴラスに於けるは恰も道士輩の老耼に於