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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/64

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ンドロスみづからはかゝる精細なる點にまでは考へ及ばず、ただ吾人の實際五官を以て知覺する個々物ほどに性質上定限せられたるものにはあらでしかもよく差別の性質を有する個々物を生出するものとやうにいと大らかに考へたりしならむ。ト、アパイロンの物體的のものなる即ち空間を塡充する底のものなることは明らかなり。

《萬物は如何にしてト、アパイロンより生出するか。》〔八〕さてかく萬物はト、アパイロンより生じ出づるものなるが、そは如何にして生出するかといふに、アナクシマンドロスは唯だ反對のものが分離し出づといふに止まりて更に如何にして然るかは深く問ひ究めざりしものの如し。恐らくはト、アパイロンにしかせしむる無窮の活動力ありと思ひしまでにて滿足したりしならむ。かくト、アパイロンより分離し出づる反對のものはと及びとの氣なり。暖にして乾なるものがその反對の寒にして濕なるものに働きて天地萬物を生ず。〈多くの史家はテオフラストスの言によりてアナクシマンドロスはト、アパイロンに無始無終の運動ありと說けりと云ふ、然れどもこれは所謂反對のものの無盡藏に分かれ出づる所以をアリストテレースが自家の思想もて斯く解したるのみにてアナクシマンドロスみづから恒久の運動てふことをいへるにあらずと考ふる史家もあり、そは恒久の運動てふ語の餘りにアリストテレース自家の用語めけばなり。寒暖及び乾濕の分かれ出づる順序又其の相互の關係に就いて史家の考ふる所あれど畢〉