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市民にしてその生まれしはアポルロドーロスに從へば西曆紀元前六百十一(乃至十)年頃なるべし。タレースに學びたりと言ひ傳ふれど親しく就いて學びしことありしか否か確かには知られず。天文幷びに地理上の知識に秀で初めて地體圖やうのものを製しきとぞ。萬物生起の理に關し『ペリ、フィゼオース』(περὶ φύσεως)と名づくる書を著しきと言ひ傳へらるれど、こは早くより失せて今は唯だその中の一句を傳ふるのみ。(ペリ、フィゼオースはフィジス論といはむが如し、フィジス(φύσις)はこゝには諸物の原性又は物原といふ意義に解すべし)アナクシマンドロスは希臘學術の發生上重要なる位地を占むる學者なり。

《其の說、萬物の本原はト、アパイロンなり。》〔六〕タレースは水を以て萬物の本原となせしがアナクシマンドロスはト、アパイロンを以て萬物の本原となしぬ。ト、アパイロン(τὸ ἄπειρον)とは際限なきものといふ義なり。そも水といふ一物より萬物生起すとは考へがたし。萬物の本原(ἀρχή)たるべきものは固定の形なく堺限なきものたるべし、しからざれば如何でかよく一切の物となり得む。水は所詮水たる一定の性質を有するもの卽ち定限あるものなればこれによりて到底天地の森羅萬象を說明すべくもあらず、又若し水にして際限なきものならむには萬物を容れずして却て悉くこれを水となし