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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/61

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彼れは從來の天地開闢說の物語を超脫して森羅萬象を一物素の成せる所と見むと試み而してこゝに希臘哲學を開ける也。次ぎに說かむとするアナクシマンドロスに至ればミレートス學派は既に明らかにその步を進めたり。

〔附言第一〕タレースが水を以て萬物の太原となしたる理由に就いてはアリストテレースの言へる所すら其の臆測にとどまる。彼れ曰はく、タレースは諸物の種子及び諸物の榮養となるものの凡べて水氣を含めるを見て立說したるならむと。然れども試みにタレースの位置に立ちて考ふれば其の萬物水を以て成れりと云へりし理由の最も眞實に近からむものは恐らくは水のいと變化し易く或は天に昇り或は地に入り又大地を圍繞して之れを浸し之れを浮かぶるが如く見ゆるにあらむと考ふる史家もあり。
〔附言第二〕ポル、タンヌリー氏(Paul Tannery)はおもへらく世界は水上に浮かべりといふ如き說はタレースの埃及より傳へたる所にして彼れは數學又物理の說に於いては埃及の僧侶の弟子たるに過ぎず、希臘の學術は正當にはアナクシマンドロスに始まると云ふべき也と。然れどもタレースが萬物の物素を水と見たることによりてミレートス學派を開き而して此の學派を開きたるものとして希臘哲學に其の地位を占むることは否むの必要なかるべし。


アナクシマンドロス(Ἀναξίμανδρος

《アナクシマンドロス、其の生涯、著述。》〔五〕タレースに踵いで起こりしアナクシマンドロスも同じくミレートスの