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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/56

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人と通商貿易を開き又その(フェイニキア人の)海上の勢力の衰ふるに乘じて遠く地中海を往來し其の眼界は頓に廣まり其の市都は目覺ましき繁盛を來たしたり。又當時は君主政治已に倒れ貴族政治亦去りて民主政體之れに代はらむとし黨派の軋轢常に酷しく社會一般の事物を舉つて絕間たえまなき活動の中にあらしめたりき。又貴族政治衰へて民主政治の起こらむとせる過渡の時代に在りては處々の希臘の市府に拔群の手腕を有する個人出でて政權を掌握せる者ありしが、此等の所謂「擅政家」は各〻其の朝廷に藝能ある者を集め其の市府の光榮を揚げて市民の歡心を得むと力め、ために文物の進步に一種の動力を與へたり。かくの如く人民の生活又智識の著るき進步をなしつゝある時に哲學もその萌芽を發しぬ。すなはち希臘哲學の起こりしはかくの如き時代に於ける社會人心の活動の結果に外ならず。その生起の地は小亞細亞の沿岸及び伊太利南部等の殖民地にあり。就中かの最も敏捷活潑にして新奇を求め創意發明の才に富めりしイオニア種族こそ實にその搖籃を擁護せしものなりけれ。

《希臘哲學史の區分。》〔六〕希臘哲學史を分かちて五期となす。初期は專ら客觀なる天地萬物の現