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かど希臘哲學の考究の動機は今現に吾人の服前に橫はれるまゝの天地萬物に對して、これを現實かくあらしむる物素は何ぞと問ひ來たれるにあり。又從來は天地の現象を以て偏へに天神地祇の所爲に歸し誰が日を照らし誰が雨を降らすといふが如きいと稚き想像的說明を以て足れりとしたりしかどこゝに至りては力めて物理上天地の現象を說明せまくせる也。こは要するに吾が理性の要求をますます明らかに自覺し來たりて舊感想、舊信仰に滿足せずなりし結果に外ならざる也。

《希臘哲學の生起に關し東方諸國民の思想上の影響の有無。》〔四〕此の如くして希臘哲學はその發端を開きしが、この新思想の起こりしには希臘人に先んじて已に文化に進みたりし東方諸國民の思想上の影響與りて力ありしか否か、これにつきて近世學者の說くところ一ならず。或學者は希臘哲學はもと埃及、波斯、印度等の思想を傅へ來たれるもののやういへれど、こは惟ふに東方文化の影響をあまりに重大視せし誤謬ならむ。げにや彼此其の思想の似かよひたるふし、少なからねど(輪廻轉生の說及び印度の服水論師、風仙論師、火論師等の說、四大の說、又極微の說などと同樣なる思想の希臘にもあるが如きその著るき例