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物諸神を生じぬとやうに說きたりき。又降りて西曆紀元前六世紀のころに至れば一層進步したる一層組織的なるファイレキデース等の天地開闢說あり。これら諸說は種々異同はあれど、要するに諸神と萬物とを打ちまぜて或は男女の婚媾して子を產むに擬へ或は一物より自然に他物を化生するになぞらへて諸神諸物の生出せし由來を想像したるものに外ならず。是等の說は專ら想像の生みなせる所なるにもせよ、兎に角諸神諸物の生起せし由來を考へ、まちに傳はれる俗間の傳說を統合組織せむとする精神は業に已にこれらのうちに顯然たりし也。

《希臘哲學の發生。》〔三〕右いふ天地開闢說が吾人の眼前に橫はれる物界の生起を說明せむとせしが如く希臘哲學も亦そのはじめはただ物界の說明を以てその目的となしゝ也。吾人の眼前に橫はれる天地萬象の由來を道理上說明せむとする自意識の明らかになれりしと共に希臘哲學は發生しぬといふべし。斯く眼にふるゝ物界を取りてそが生起の由來を說明せまくする所よりいへば同じく天地開闢の問題を繼紹せるものから其の說明の精神と方法とに至りては旣に大に異なれりといはざる可からず。そは從來の傳說は、天地開闢の物語を書きつづりたる如きものなりし