Page:Onishihakushizenshu03.djvu/500

提供:Wikisource
このページは校正済みです

ふれば子は萬物を造化する者なり。されど其の造化作用は畢竟ずるに神が自らを知り自らを言ひ表はす作用に外ならざれば神以外に萬物に於ける實在なく神を取り去らば一として獨立自存する物ある可からず。獨立自存する物としては萬物は非實有なり。萬物は唯だ其れが神なることに於いてのみ實在を有す。之れを神と區別するものは唯だ其の個性なり。即ち神と萬物とを區別する所以のものは自他彼我の別をなし、此處彼處の別をなし、時に於ける前後の別をなし、數に於ける一多の別をなすもの、約言すれば其の差別相の外にあらず。差別相を取り去らば萬有は一なり、差別相に於いて觀るがゆゑに個々相異なりたる萬物として見ゆるなり。

《不善は缺乏なり、神人の合一。》〔一六〕神を外にして實在するものなし故に實在するものはまた凡べて善なるものなり。不善なるもの、不完全なるものは積極的に實在を有するものに非ず寧ろ非有なり。炭火の我が手を燒くは唯だ手に熱を缺けるが故なり、不善は缺乏に外ならず。地獄に墮落して苦しむものは非有なり缺乏なり。造化されたる者が自らを自存獨立のものと見て我執を起こす是れ一切の迷妄の淵源、一切の罪惡