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の本源なり。如何にエックハルトの神祕說に於いてスコラ哲學の濫觴なる而して新プラトーン學派風の趣を帶びたる彼のエリゲーナの說に類似する點あるかを看よ。)

眞理の本體を知らむと欲せば萬物の差別相より眼を轉じて神に歸入せざるべからず。人間は自ら意識して神に歸入することを得。而して萬物は其の理に於いて(idealiter)人間の心に包含せられ居れば吾人の心が神に歸入することに於いて萬物は神に歸入することを得るなり。神と萬物とは互に離るべからざる關係を有す、吾人が神を觀ると吾人が神に觀らるゝとは同一不二なり。吾人が神を知ることに於いて神は自らを知るなり、此の際能知の主觀と所知の客觀とは同一なり。神は自らを愛する愛を以て我等を愛す、そは吾人に於いて神に愛せらるゝものは神自らなれば也。かくの如く神と我が心とが合一する所(即ち神を知る)の知識は是れ神より來たりて吾人の心を照らす光即ち其の恩惠なり。朽ち果つべき物に絆され之れを追ひ求め我意を執する心を離れて只だ神をのみ知り神をのみ愛するに至りて吾人は始めて究竟の怡安に達するを得べし。こゝに至りては神が吾