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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/499

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件の名狀す可からず限定す可からざる神性が實際に活動する神となるは自らを知る知識による、即ち萬物の太原たる神性に自らを知らむとする働き起こりこゝに眞實の存在てふものは創まれり。自らを知らむとする活動を起こさざる狀態に於いての神性は無といふより外に名づくべき語なし。造化作用は畢竟神性の自識作用に外ならず、實在は其の根柢に於いては自識作用なり。(即ちエックハルトの取る所は主知論なり。)神が自らを知らむには先づ自らを言ひ出ださざる可からず之れを譬ふれば恰も吾人が我が影を鏡面に投じて始めて我れを見得るが如し。件の自識作用によりて始めて能言なる主觀と所言なる客觀とが相分かる、前者は父なる神にして後者は子なる神なり、而して父のことばとしていひ出だされたる子が復た父に歸る所、換言すれば兩者の相離れざる所(卽ち其の相互の愛)を聖靈と名づく。故に父なる神と子なる神とは別かれながら猶ほ一にして神は聖靈に於いて自らを愛する者なり。されど此くの如く神の自らを發現する働きは時間に於いて始終を有するものに非ず無時間永劫のものなり。

《神と差別相。》〔一五〕子即ち神の自らを發言したる者に於いて造化の模範は具はる、語を換