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て神前に於ける救濟を得ざるべからず、而して之れを得しむる者は敎會なり。故に敎會と國家との關係は前者が後者の上に加はりて之れを全うするに在り。
《。》〔一一〕斯くしてトマスは一切の事物を上下の二界に分かち、而して常に上なる界が下なる界の冠として其の上に位し其を全うすといふことによりて兩者の關係を說かむとせり。彼れが此の說は中世紀に於ける羅馬加特利敎會の理想を最も巧妙にまた最も偉大に發表せるものなり。盖し羅馬敎會が天下を治めむとしたる道は世を僧俗の二級に分かち、俗世間の上に位するものとして僧侶の階級を置き僧侶亦幾多の段階を爲して其の頂上に法王を戴けり。是れ恰もトマスがアリストテレースの哲學を用ゐて物質界と非物質界との二界を分かちそが幾多の階級を成せる頂上に神を置けると相似たり。尙ほ此の二階級の關係が種々なる事相に於いてトマスの說に現はれたるを列學すれば、曰はく信仰と道理とは全く同一のものならねど亦相反するものにも非ず寧ろ信仰が道理の上に位してそを全うし、又超自然界は自然界の上に位し、非物質界は物質界の上に位し、來世は現世の上に位し、宗敎上の德は世間道德の上に位し、敎會は國家の上に位して之れを