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及び公正の四大德を列擧し之れを世間的道德の綱目となしたり。されど彼れは此の四大德の上に更に信、望及び愛てふ宗敎上の三德を加へ而して此等の宗敎上の德を以て特に神の惠みによりて吾人の得る所となしまたこれを以て世間的道德の上に位し其を全うするものなりと見たり。

トマス以爲へらく、吾人は現世に於いては最高祝福に達する能はず、されど現世は決して厭離すべきものにはあらで寧ろ是れ修行の時卽ち來世に入る準備を爲す時なり。吾人の最高祝福は全く神を觀じ彼れを知り得ることに在り而して此の境涯は來世に至りて始めて全うせらるべきものなりと。斯くの如くトマスが吾人の最高なる狀態を以て吾人が神を觀ずる知的作用に在りとなしたる所是れ彼れが思想の主知的なるを示せる點なり。

《敎會と國家。》〔一〇〕人類社會の起原に關してはトマスはアリストテレースに從ひて人間は自然に社會を結ぶ性情を具ふと說けり。世上の國家は神の制定に基づける者にして人類が罪を犯して墮落したる結果に非ず、其の目的は吾人をして世間的道德を修めしむるに在り。然れども吾人は世間的道德に滿足せず更に一步を進め