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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/462

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理學等の局部的硏究は多少其の步を進めたり。盖し希臘哲學の末期に於いても這般の局部的硏究に從事せる學者少なからざりしが其の結果はアラビヤの學者の繼承する所となりき。

《アラビヤ學者間に起こりし哲學問題。》〔二〕哲學思想も亦此の時に於いて彼等アラビヤの學者間に起こり來たりしが彼等の專ら遵奉せし所はアリストテレースの哲學にして其の論じたる根本問題は畢竟ずるに(一)相素の論及び(二)原動者の論に外ならざりき。盖しモハメット敎は嚴密に獨一神を禮拜するものにしてアリストテレースが一原動者を神と見たる有神論は最も其の敎理に適ひ易きものなりき。宗敎思想と希臘學術より得たる哲學思想と相接觸したるさまはモハメット敎に於けると猶太敎に於けると基督敎に於けると大に相似たるものあれどモハメット敎國に在りては哲學を講じたる者は僧侶にあらずして多くは醫家なりしことに於いてスコラ哲學と其の面目を異にせり。アラビヤ學者間の哲學思想は宗敎上よりは常に多少猜忌の眼を以て視られたり。希臘哲學思想は深く彼等の中に其の根を下して特殊なる生長を遂ぐる能はざりき。