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《新プラトーン學派の影響。》〔三〕アラビヤ學者の最初に希臘哲學より受けたりし影響は直接にアリストテレースより來たりしにはあらで寧ろ新プラトーン學派風の趣を帶びたる思想より來たれり。希臘哲學に於ける最後の組織なる新プラトーン學派の影響を最初に受け而して其の後溯りてアリストテレースに及べることに於いてはアラビヤの學者と西歐のスコラ學者と共に同一轍に出でたり。新プラトーン學派の說に影響せられて出でたるアラビヤの最初の學者をアル、ケンディ(Al Kendi. エリゲーナと同時代の人)とす。其の後にはアル、ファラビ(Al Farabi. 紀元後九百五十年に死す)あり。彼等の思想は畢竟アレクサンドリアに於ける學風を受けたるものなりき。

《イブン、シーナ、其の二元論、通性論。》〔四〕尙ほ後に出でたる


イブン、シーナ(Ibn Sina

卽ち歐洲學者のアヸセンナ(Avicenna)と名づけたる者(九百八十七年一千〇三十六年)は直接にアリストテレースに溯り其の學を奉じたる者にして東方アラビヤ學者の巨擘なり。アヸセンナ說いて曰はく、萬物の太原たる絕對的に純一なるもの