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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/461

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停滯不振となれるにつれ中世紀の思想は更に之れに新生氣を與ふべき新刺激の來たるを待つ有樣なりき。而して中世哲學の一大革新を促すべき新動力はアラビヤ及び猶太の學者より來たれり。

希臘の哲學思想は彼等アラビヤ及び猶太の學者によりて更に多く歐洲に輸入せられ之れによりて中世哲學は新生面を開き遂に第二期の全盛時代を成すこととなれり。さればスコラ哲學の全盛時代を說く前茲にしばらく眼を轉じてアラビヤ及び猶太の學者間に於ける哲學思想の由來及び其の經過を見む。


第二十五章 アラビヤ及び猶太の哲學

《モハメット敎國文物の煥發。》〔一〕モハメット敎徒がアラビヤに起こり一手に干戈を執り一手にコランを携へて廣く四方を征伐するやシリア小亞細亞を始めとして東は印度に入り西は亞弗利加の北海岸を打ち靡かして遂に西班牙半島に侵入せり。而して紀元後九世紀より十二世紀に至る間モハメット敎國には文物大に煥發して諸種の學術技藝は基督敎國なる西歐に於いてよりも遙かに隆盛を來たし數學、天文學、化學、金石學、生