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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/460

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ルナール(Bernard 少しくシャムポー人ギヨームに後れて生まれ彼れの死後尙ほ四十年間生存せり)等なり。

《アラビヤ及び猶太の學者より來たれる新動力。》〔二二〕神祕思想及び自然界硏究の二流派は共に當時に於いては辯證法を用ゐたる者即ち嚴密なる意味に謂ふスコラ哲學の傍に在りし流れに過ぎざるが就中自然界硏究の方は他に比すれば至りて微少なるものなりき。而して其の中央の流なる辯證的思想も已に盡きて更に其の步を進め得ざる有樣に立ち至れり。盖し道理と信仰との和合は一應アンセルムスに於いて成就せられ且つ辯證法の精銳はアベラルドスに於いて極まれりといふも不可なく其の後に及びては在來のスコラ學者の敎說を基礎とし其の語を集め其の要を摘みて神學語類の編纂を是れ事とするに至れり。彼等を名づけて集語家といふ。中に就きて最も有名なるをペトルス、ロンバルドス(Petrus Lombardus アベラルドスの弟子にして紀元一千百六十年に死す)とす。また神祕派に在りてもフーゴーに於いては多少論理を用ゐたる神學論をも爲したりしが後に至りては只管眼を宗敎的信仰の主觀的方面にのみ注ぎて狹隘の弊に陷るに至れり。かくスコラ哲學の本流と神祕派と共に