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Page:Onishihakushizenshu03.djvu/459

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仰上の實驗を窄むるものなり。吾人の知識は先づ外なる物界を知覺する(cogitatio)に始まり、次ぎに內なる心界を觀る(meditatio)に至り、更に進みて神を觀る(contemplatio)に及びて始めて知識最高の段階に達せりと謂ふことを得。此の知識最高の段階に在りては沈思冥想して我が心裡に事物の眞相を看破するのみならず神に沒入融和して形骸を忘却したる最高なる宗敎的意識に達せるなり。

《自然界硏究に著目せるもの。》〔二一〕上に揭げしフーゴー及び其の徒(即ち所謂ヸクトル寺院の徒)は吾人の心を顧みて其の心生活を自識し描寫することに心を用ゐたりしが當時また此等の神祕家と共に彼の論理を弄し通性對個性の論に狂せる辯證家に慊らずして其の眼を自然界の硏究に轉じたる者あり。ジェルベール(Gerbert 一〇〇三に死す)はアラビヤ學者の學術に接して開發さるゝ所あり大に數學及び自然科學の必要を唱へたり。其の他當時自然界の硏究に著目せる者は主として其の思想をプラトーンが其の自然哲學を述べたる『ティマイオス』に連結せしめたりき(アリストテレースは當時尙ほ唯だ論理の方面に於いてのみ知られたりき)。此の輩の中こゝに其の名を揭ぐべきはコンシェス人ギヨーム、(一〇二六―一〇九一)及びシャルトル人ベ